支援戦闘機 F−1
1992年11月1日 百里基地上空で見事な10機編隊を見せるF-1
1993年10月31日 百里基地を飛び立つF−1
(上3点、撮影時期同じ)
2002年10月 航空観閲式(百里基地)
1996年7月 松島基地航空祭 ASM搭載
1997年8月 千歳基地航空祭
1997年11月 入間基地航空祭
1998年8月 千歳基地航空祭
日本にしか存在しない特殊な呼び名、支援戦闘機。その実は攻撃機。いかにしてこのような呼び名がこの航空機についたのか。
三菱 F-1 は、航空自衛隊で対地支援を任務としていた F-86F 戦闘機の後継機として、国産初の超音速ジェット練習機T−2をベースとして開発された単座の支援戦闘機である。
T−2は開発当初から支援戦闘機への発展潜在性が認められていたものであり、1972年10月9日に閣議決定した第四次防衛力整備計画(四次防)において支援戦闘機FS−T2改の装備が承認されたのを皮切りに T-2 の#106,107号機を”T−2特別仕様機”として改造。その後席を廃して電子機器室とし、爆撃コンピュータや航法装置、機関砲の装備、レーダーFCS換装し、垂直尾翼端にJ/APR−3 レーダー警戒装置のアンテナを収容するための細長い円筒状のフェアリングを付けたテスト機として「FS-T-2改」を開発。FS-T-2 改は 1975 年に初飛行した。T−2特別仕様機によるF−1の開発試験は、基本的な飛行特性などがT−2の試験で終えていたこともあり、短期間で終了した。1976年に「支援戦闘機 F-1」として制式名称が決まり、国産初の超音速戦闘機となった。F-1 の主任務は対地・対艦攻撃。本来なら「攻撃機」あるいは「戦闘爆撃機」などと呼ばれるものだが、時の総理大臣であった故 岸信介氏が「わが国には爆撃機は不要」という意向を示されたために、支援戦闘機という用語を発明したという説があるそうです。一方には当時社会党や共産党の国会での追及をそらすために自民党がつくった日本独特の用語とも言われている。この首相の発言以前に自衛隊にはその気質、憲法上の正統性に関わる問題があったという背景があり、「士官」を「幹部」と称するなど自衛隊独特の言い換えは「支援戦闘機」に限った事ではない。F-1 に関しては、「爆撃」や「攻撃」という言葉は他国への侵攻を連想させることを危惧したという側面もあった。
F-1 の平面形は実にスマートです。細長い胴体に、小さな主翼。F-15 や F-4 と見比べると、そのスマートさがより際立って見える。この形状から察せられるように、F-1 は翼面荷重が高く、挌闘戦(ドッグファイト)には不向きな機体である。そのかわりにF-1の主任務である対地・対艦攻撃において、低空飛行する際には安定した飛行特性が得られ、正確な照準が可能になる。 エンジンは、アフターバーナー推力3,316kgのロールスロイス/チュルボメカ・アドーア102(石川島播磨重工でライセンス生産。TF40−IHI−801A)双発。主翼は高翼配置で、主翼後縁にはフラップのみを装備し、前縁には空戦フラップを装備している。主翼端のAAMランチャーは取り外しが可能だが、基本的に常時装着している。このため、飛行中の最大許容荷重はT−2(外部搭載なし)の7.33Gに対して6.5Gに制限されている。F−1最大の特徴は充実した電子機器にある。特にJ/AWG−12 FCSはT−2後期型が装備するJ/AWG−11をベースに三菱電機が開発したもので、対空(2種類)/対地モードの機能を持つほか、F−1最大の目玉となった空対艦ミサイル ASM−1の運用を可能とする空対艦ミサイル発射管制モードを有するという特徴をもっている。また、支援戦闘機として対地攻撃任務をこなすため、爆撃システムは自動化が図られ、J/ASN−1 慣性航法装置、J/APN−44 電波高度計などの電子機器から得た情報をJ/ASQ−1 爆撃コンピューターが瞬時に処理し、的確な攻撃コースと投弾時期をHUD上に示し、パイロットはそれに従うことで確実に目標を破壊できると言われる。この爆撃能力は当時としてはトップレベルの物で、日米共同訓練時に米軍のパイロットがあまりの精度のよさに驚いたと言うエピソードが伝えられていたほどだった。
兵装類としてはT−2後期型と同様にJM61A1 20mmガトリングガンを機首左側面に装備しており、携行弾数は最大750発。もちろん空対空攻撃の他、空対地攻撃にも有効である。その他、空対空ミッション用としては20mm機関砲以外にAIM−9サイドワインダー空対空ミサイル(当初はAIM−9Bで、現在はAIM−9Lに統一され、同時にランチャーと火器管制装置が改修された)を最大4発まで搭載できる。空対地ミッション用としては左右主翼下面に各2ヶ所と、胴体下面に1ヶ所の計5ヶ所に設けられているハードポイントに各種爆弾(誘導爆弾含む)、ロケット弾を搭載でき、Mk.82 227kg爆弾なら最大で12発搭載が可能。空対艦攻撃用のASM−1/−2ミサイルを2発搭載可能だ。1975年度に初ロットの量産機(18機)が生産を開始した。その後、1977年2月25日に量産初号機がロールアウトし、同年6月16日に初飛行した。量産型F−1の装備機数は、当初126機のとされていたが、四次防期間内で68機に削減され、最終的に77機の生産となり、1987年3月で量産を終了した。部隊配備は1978年3月に三沢基地の第3飛行隊がF−86Fから改編したのを皮切りに、1980年には同じく三沢の第8飛行隊、築城の第6飛行隊がいずれもF−86FからF−1飛行隊へと転換した。これら3飛行隊の主任務はいうまでも無く支援戦闘だが、F−1には空対空ミサイル:サイドワインダーを装備しての要撃任務を課せられており、F-15等の要撃戦闘機部隊の所在しない三沢ではアラートミッションも担当した。F−1は1997年以降耐用飛行時間に達する機体が出始めたため、少しずつ退役が進められたが、後継機F−2Aの実用化が遅れたために、そのつなぎとしてF−4EJ改の支援戦闘機転用が決まり、1997年3月17日に第8飛行隊がF−4EJ改に機種改編した。その後 F-1 の後継となる F-2 が配備を開始し、先に三沢の第3飛行隊はF-2に改編され、築城基地の第6飛行隊に残りの機体が集められた。そして国産初の超音速戦闘機は平成17年度をもって運用を停止した。ラストフライトは築城基地にて2006年3月9日に行われ、日本の空から姿を消した。
全幅 7.88m
全長 17.85m
全高 4.55m
翼面積 21.2m2
最大速度 マッハ 1.6
自重 6,358kg
最大離陸重量 13.700kg
戦闘行動半径
(Hi-Lo-Hiミッション、ASM-1 2発、増槽1本) 300NM(約550km)
実用上昇限度 15,000m
飛行航続距離 1450NM (約2,700km)
エンジン ロールスロイス/チュルボメカ RB172/T260-40(TF40-IHI-801A)アドーア (2,136kg A/B 3,207kg)X2
兵装 ・M61A1 20mm バルカン機関砲 1基 装弾数:750発
・短射程空対空ミサイル AIM-9 4発
・Mk.82 500ポンド爆弾 12発
・JM117 750ポンド爆弾 5発
・CBU-87 クラスター爆弾 5発
・70mmロケット弾 76発
・127mmロケット弾 12発
・ASM-1 空対艦ミサイル 2発
アビオニクス ・J/AWG-12 火器管制レーダー
・J/ARC-51 UHF 無線機
・J/ARN-53 TACAN 航法装置
・AN/ARA-50 UHF-DF(自動方向探知機)
・J/APX-101 SIF-IFF(敵味方識別装置)
・J/APN-44 電波高度計
・J/ASN-1 慣性航法装置
・J/ASQ-1 管制計算装置
・J/APR-3 RHAWS (Radar Homing And Warning System)
・J/A24G-3 エアデータ・コンピュータ