T-400

輸送機・救難機等基本操縦練習機


1995年11月 百里基地


1998年10月 百里基地


2000年10月 百里基地

T-400は、航空自衛隊で使用している大型機&救難機乗員訓練の練習機です。原型は三菱重工が開発したターボファン双発ビジネスジェットMU-300です。三菱から販売権と製造権を譲渡されたビーチエアクラフト(現・レイセオン航空機コーポレート)がビーチジェット400として製造販売している機体です。同社ではそれからセスナ・サイテーション Vに対抗する胴体ストレッチ型の400Aを1990年秋から発売。これはキャビン容積を0.57u増して最大座席数を9席とし、総重量および燃料搭載料を増し、運用高度限界を13,720mに引き上げたモデルです。 その後この400Aを、米空軍が1990年に給油機や輸送機といった支援用大型多発機操縦士の訓練システム(略称TTTS)用の機体として導入を開始しており、T−1Aジェイホークと名付けた機体で高々度飛行や低空高速飛行、長距離航法などの訓練を実施している。T−1Aは民間型400Aに比べて風防が強化され、コックピットは5台のCRTを使用したグラスコクピット化、電子機器も軍用のものに換装されるなど細かい改修を実施されている。なお、米空軍は輸送・連絡業務用に民間型のビーチジェット400/400Aも使用している。1991年8月に航空自衛隊が同様にC-1、C-130H、U-125、U-4、E-2C等の大型機パイロット養成のための練習機として採用し、1992年2月よりT-400として導入している。いわばT−400は逆輸入された機体ともいえる。T−400は米空軍のT−1Aの装備に準じている。岐阜の飛行実験団で実用試験が行われた後に、全機、美保基地の第41教育飛行隊に配備されている。大型機の操縦課程に進むパイロット候補生は、T-4課程の前期カリキュラムを修了すると美保基地でこのT-400の飛行訓練を受けることになる。

ここで原型機のMU−300について触れておく。MU-300は三菱重工が独自に開発したビジネスジェットです。開発に10年近くかかったという戦後の日本で生まれた機体でも名機と呼べるものでしょう。最新の空力および構造力学により設計・製作され、性能と効率の両面で現有ライバル機を上回ることを目標としていました。主翼はコンピュータ設計され、従来翼より大幅に効率の優れたものとなり、燃費向上につながっています。原型初飛行は1978年8月29日です。 国外ではMU−300ダイヤモンドの名で海外セールスしていました。バリエーションは2種あり、ダイヤモンドTAは高温地域・高標高飛行場での運行性能を向上させるために、エンジンをJT15D-4Dに換装し、推力を5%増加するなどの改良が行われた。ダイヤモンドUは巡航速度、航続距離、離着陸性能などが ダイヤモンドTより向上し、エンジンは推力1,315kgのJT15D-5に換装され、TAよりさらに高温時の運用能力が向上した。 MU-300は、三菱重工から国内で製造した機体と各部品だけをテキサス州にある米国現地法人米 国三菱航空機(MAI)に送り、ここでエンジンや内装を艤装してコンプリートし、販売店に空輸する方式をとっていました。その予約受注機数はピーク時には120機にも及びました。だが開発途上に発生したDC-10の墜落事故を契機に米国での安全基準が大幅に強化されることになり、MU-300も多数の設計変更要求を迫られた。それにより型式証明取得が遅延。その中に急速なアメリカ国内の経済の悪化があって多数のオーダーキャンセルが発生。この市場悪化は一向に好転に向かず1985年12月にMAIの権利をビーチ社に譲渡し、1988年には製造権も譲渡する結末となってしまいました。その後ビーチジェット400は米空軍、自衛隊などに多数の受注を獲得し、レイセオン社の主力機種として生産が続けられているのはなんとも皮肉ではある。

■全幅  13.29m ■全長  14.78m ■全高  4.24m ■翼面積  22.43u■運用自重  4,420kg ■ 最大離陸重量  6,305kg ■エンジン  P&Wカナダ JT15D-5 1,315kg ×2 ■最大運用M0.785 ■最大巡航速度  456kt/8,840m ■長距離巡航速度  394kt/12,500m ■運用高度限界  13,716m ■航続距離  1,190nm/長距離巡航速度(IFR余裕燃料保留) ■座席数  乗員2+乗客9 名

調達価格 15億円/機(防衛庁平成10年防衛力整備の概要より)