C11275

大田原市交通公園

取材時期:2000年11月

【看板説明】

C11275蒸気機関車について

この機関車は第2次大戦中に作られた戦時型で蒸気溜がカマボコ型になっているのが特徴です。当初は御殿場線(国府津―沼津駅間)の客貨車の輸送に使用されましたが輸送量の増大と電化の波に押され最後は関東 東北各駅の貨物の入替用に使用されていたものを国鉄の厚意により当公園に展示されることになったものです。

昭和46年12月 大田原市交通公園

製造年月日 昭和19年12月23日
製造会社 日本車輌株式会社
使用期間 自 昭和20年1月 至 昭和46年5月

延走行距離 718,083km

経歴
昭和19年 日本車輌製造、製造番号1351
昭和22年3月末時点 茅ヶ崎区
昭和37年3月31日 浜川崎配置
昭和46年7月21日 廃車、最終区 米沢区
(一部Rail Magazine別冊「日本の蒸気機関車」より)

【保存場所の地図】

地元高校の生徒らによる整備活動

2002年4月17日付け下野新聞(宇都宮市)に大田原のC11275の整備を地元の工業高校機械科の生徒さんらが実施している記事が掲載されていましたので紹介します。

記事によると昨年(2001年)から那須清峰高校の3年生達が、4/16から先輩の仕事を引継ぎ補修作業を開始したとのこと。このC11275は以前にご紹介したとおり大田原市の行政方針で公園の整理とともに撤去を検討されていましたが、地元の西原自治会が保存を訴え、昨年4月にこの高校の機械科が補修を申し出た。作業は昨年度までに完了する予定だったが終わらず、仕上げ作業を進級した新3年生が引き継いでいる。機械科の生徒さんは38名で10人単位に分かれて教諭指導のもと毎週火曜日に作業を実施しているそうです。作業の完成は7月の中旬を目標にしているとのこと。

菊池写真館では、4月に入って同高校機械科の指導している先生と連絡を取り、私のhpで紹介している静態保存機のページに同高校のリンクおよび生徒さんの活動を紹介することをご快諾いただきました。

栃木県立那須清峰(なすせいほう)高校:http://www.nasuseiho-h.ed.jp/

機械科のページにSLのリストアの紹介があります。

2001年11月30日取材
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公式側。全体が黒色で再塗装されていた。

前方正面。ナンバープレートも新しいものに付け替えられている。ライトは自動車用のもの?

右(非公式)側のシリンダー下部。かなりの腐食が浸透してしまっている。

キャブ内部。出入り自由の割に比較的計器が残っているのは奇跡的。火室内などゴミが除かれ掃除されている。

後方側。以前の赤錆状態からは見違えるように奇麗に塗られている。

公式側動輪、クロスヘッドやロッド部といった稼動部も黒色で塗られてしまっている。

 2000年11月現在の状態
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後方側より見る。機関車全体の赤錆が広がっているのがわかる。

戦時設計型の特徴である、「カマボコ」型のドーム。

右側にある空気圧縮機。腐食が進みシリンダー筒の一部は損壊している。

運転台の内部。すでにすべての窓は枠ごと無い。機関士席の痛みが悲しい。 機関士席側から。各ハンドル類は残っているものもある。

正面の煙室扉。ナンバープレート。前灯も破れ枠だけである。長期の雨曝しの後が痛々しい。

左側動輪とクロスヘッド。塗装膜が厚く刻印まで確認できなかった。        

C11275を取巻く動きについて(新聞記事より)

■展示SLで不審火、いたずらか 大田原の美原公園(2002.4.7)

 大田原市美原の美原公園内に展示されている蒸気機関車の内部を焦がす不審火が4/6発生した。このSLは地元自治会などが保存に力を入れ、現在、那須清峰高の生徒たちがペンキの塗り替えなど補修作業に取り組んでいる最中で、関係者は「だれかがいたずらして火を付けたのだろうが許し難い行為」と怒りをあらわにしている。SLのぼや騒ぎは同日午後四時四十分ごろ、機関車の蒸気窯内から煙が出ているのを付近の住民が見つけ119番した。火は駆けつけた大田原地区広域消防本部の署員が消し止め、大事には至らなかった。蒸気窯内に捨てられていた弁当かす、ごみなどに火がついて、内部で燃え広がったのが原因。SLは子供たちに人気があり、自由に乗り込めるように柵などは設けず、窯の内部も前部のハッチを開けて見ることができる。

 SLは1944年製造、現役引退後の1971年、同公園に展示された。昨年、老朽化で安全上の問題から市が廃棄処分を検討したが、地元の西原自治会が保存を訴え、これに同高機械科の生徒が賛同。昨年から二カ年計画で、車体の古い塗装を落とし、塗り直しなどの補修作業に取り組んでいた。同公園付近では三月に入り、枯れ草などを焼く火災が五件発生している。いずれもすぐに消し止められ、実害はなかったが、同消防本部は巡回をするなど警戒を強化している。


2000.11月掲載記事より

大田原市の行政改革の一環として2001年春から廃止になる「大田原市交通公園」(美原一丁目)。園内に展示されているC11蒸気機関車は第二次世界大戦中に造られ、客貨車の輸送という仕事を務め上げた後、約30年間、子どもたちを楽しませる“第二のレール”を走り続けてきた。大田原市は園内の設備を撤去する方針を固めているが、一時代の“けん引役”として活躍したC11蒸気機関車をどう処分するか決まっておらず、扱いに頭を悩ませている。(2000年11月現在)

 交通公園は交通安全教育を行うため1970年に設置。機関車は翌年、旧国鉄から譲り受けた。児童たちは標識や信号機を使って、自転車の安全な乗り方を学び、休憩時間は機関車との触れ合いを楽しんだ。現在、同様の教育は各校の校庭などで行われている。

 機関車は1944年12月に造られた「C11275」。戦時設計型の特徴である、蒸気溜(だめ)がカマボコ型になっている。御殿場線(国府津―沼津駅間)で客貨車を輸送した。しかし、電化の波に押され現役を退き、最後は現在のJR赤羽駅で貨物の入れ替え(注1)に使用された。

 市職員だった荒井政義助役は「もらい受けたのはいいが、移送が大変だった」と当時を振り返る。赤羽駅から大田原市野崎地区までレールの上を走らせ、いったん解体。トレーラーに載せ、真夜中に道路を通行止めにして園内に移送し、組み立てた。機関車は「子どもたちの遊具」の位置付けで、囲いはあるものの、運転席に座ったり、機器類に自由に触れられる状態で展示。約三十年間、雨風をしのぐ屋根もなく、破損した機器類の補修も行われないできたため、老朽化が激しい。

 大田原市は公園廃止条例を2001年3月市議会に提出、可決される見通しだ。敷地は隣接の小学校用地などに使われるため、機関車はやむなく現在の場所から追われる。荒井助役は「市民に親しまれてきた経緯はあるが、補修し、どこかに展示する考えはない」。公園廃止は行革の意味合いが強く、新たな負担増には応じられない背景がある。しかし一方で、助役は「車輪だけでもモニュメントとして残すことができたら…」。また子どもを公園で遊ばせている母親たちからは「なくなってしまうのは残念」と惜しむ声もある。今のところ、機関車の行く末は決まらず、“新たなレール”は敷かれていない。

(注1) Rail Magazine別冊「日本の蒸気機関車」によれば、C11275の最終区は、米沢区となっており、赤羽付近に在位した裏付けが資料からは確認できなかった。

 C11275の詳細経歴など不明な部分が多く調査中ですが、情報お持ちの方はぜひお寄せください。