東武鉄道NO.30機関車

喜多山公園(佐野市)
 (旧:葛生町)

取材時期:2001年5月

【看板説明】機関車

この機関車は大正4年の英国ベーヤピーコック社製造で四輪連結テンダー型機関車と呼ばれ東武佐野線で活躍していたものです。昭和41年11月の佐野線の全線電化で引退し、東武鉄道の御厚意によりこの公園に寄付されました。

長さ:14.472m 巾:2.572m 高さ:3.810m

最高速度:98km/ 重量:35.51t

NO.30機関車

Beyer Peacock社製2B形テンダー機、1914年(大正3年)購入(注1)。機関車重量35.3トン、炭水車重量23.6トン、シリンダー406×559mm、動輪直径1524mm、使用圧力11.25kg/cm2、ボイラー火室:ベルニヤ式、スチーブンソン式弁装置。省燃費で速度も速く、浅草―伊勢崎間、大田―桐生間を電化まで旅客用として使用された。その後1966年6月末まで佐野線で使用され、蒸気機関車全廃後、葛生町に保存されることになった(資料提供:東武博物館学芸課)。【保存場所の地図】

(注1):保存場所の看板説明では大正4年製とあるが、東武博物館からの回答は大正3年とある。東武鉄道発行の「写真で見る東武鉄道80年」によれば、大正3年に英国Beyer Peacock社へ形式B3(29-34号)を自社発注したとある。

キャブ(運転室)内部。運転席が右側にあるのがわかる。第二動輪がキャブの真下にあるため、タイヤハウスがフロアに出ているのがわかる。レバー取っ手や計器類が全く無い。予め取り外されたのか、その他の理由かは不明。
FRONT VIEW。両サイドの大き目のタンクが目立つ。ほっそりしたボイラーも特徴。煙室扉付近にあったはずの番号はない。キャブ脇にあったはずのプレートも無くなっていた。
先輪&シリンダー部位。ほぼ原形を留めていた。薄っすらと白く見えるのはほとんど石灰塵。石灰石採掘の町特有なのだろうか。機関車全体が石灰塵を多く被っている。
スポーク動輪。近寄ってみると以外に大きく見えた。ランボードにスプラッシャーが見える。周囲の配管などの各パーツ類の欠損や破損が多い。
AFTER VIEW。テンダーは固定3軸車。リベット組立構造による外装の鋲列が美しい。機関車は一度塗り直された形跡があり、遠目で見るときれいに見える。
左サイドから。特徴の細身の煙突が見える。コンプレッサーと両サイドにある大き目のタンクから出るチューブ類が目立つ。

SL王国だった東武鉄道

 東武鉄道は私鉄の中でもテンダー式のSLを多く保有した特色ある鉄道でした。明治32年に北千住―久喜間での開業にあたり、C形タンク車:2両、2B形テンダー車:10両をすべてBeyer Peacock社より導入します。明治36-42年にかけてSLを13両増備(1B1タンク機11両。テンダー2両)します。明治45年に佐野鉄道を吸収合併し佐野鉄道保有のSL4両も取り込みます。大正3年に館林へ延長し、旧佐野鉄道線が伊勢崎線と接続したことで、葛生からの石灰石の鉄道輸送は本格化します。それに合わせるように大正2-4年にかけてSLを14両増備。大正11-14年にかけて国鉄から5660形など20両のSL譲渡を受けます。大正14年末時点でSLを55両保有。その内39両が2B形テンダー機でした。
 SL全盛時代の中、軌道の電化工事は進められ、昭和7年までにほとんどの路線で電化が進みました。旅客輸送が電車に移る中、貨物輸送はSLが主力で、電化後もSLの増備は続きました。昭和21年末時点でSLは60両を保有。内、2Bテンダーは46両を保有していました。この時期が最もSLを保有していた時期です。昭和30年に貨物列車の電化が会社決定され、昭和32年以降、電気機関車(以下EL)の導入が始まります。昭和30年末でSLは42両保有。5年後の昭和35年には半分の21両に激減。昭和40年末時点で6両を残すのみとなりました。最後までSLが残ったのは、非電化路線が残っていた栃木県葛生町(現:佐野市)にあった、大叶、会沢両貨物線を先端に持っていた佐野線でした。昭和41年6月26日に蒸機惜別記念列車が運転され、同日、葛生駅にて蒸機廃止記念式が執り行なわれています。そして同月末日で東武鉄道の路線からすべてのSLが姿を消しました。引退したSLの内、NO.30以外では、No.5,6が東京都墨田区の東向島にある東武博物館で、佐野線で最後まで活躍したNO.34は東京都大田区の萩中公園に保存されています。(参考文献、東武鉄道刊行「写真で見る東武鉄道80年」)

 
昭和42年頃の保存状態(忠賢八高様画像提供)

 NO.30機関車の型式や詳細経歴などまだ不明な点もあります。情報をお待ちしています。