ボーイング747 ジャンボジェット
BOEING747

747-200 JAL narita airport


747-200F JAL CARGO narita airport


747-200 CONTINENTAL narita airport


747-200 AIR FRANCE narita airport


747SP UNITED narita airport


747-400D 日本代表サポーターズ号


747-400 英国航空


747-400 dream express narita airport


747-400 pockmonjet

747-400D pockmonjet98

747-400D pockmonjet98

747-400D pockmonjet99

747-400D GLAYjumbo

747SR JA8139 ANA機体メンテナンスセンター(羽田空港)にて
 

エンジン

機体右後方より右主翼

カーゴルーム

主脚

機体後方より見る

前脚

 【解説】

ボーイング社と共に名を知られ、世界中の空を飛び回っている747、ジャンボジェット機。だが、これは同社の、幾多の挫折の中から生まれてきた飛行機だった。
ボーイング社はもともと大型機の専業メーカーであった。空軍の戦略爆撃機や民間用の707や軍用のKC−135など大規模な大量生産を行ってきた。だが1964年以降形勢が変わるのは民需機のストレッチ型競争から。増大する旅客輸送に対し、ライバルのダグラス社(後にマグダネルダグラスから現在のボーイングに合併)はDC−8にスーパー60シリーズを計画する。それに対しボーイングは707のストレッチ型を発表したがあまりストレッチの効果が出ずエアラインの興味も引かなかったことからストレッチ型はDC-8に発注が集中しストレッチ型競争はボーイングの完全敗北となる。
ボーイングの敗北はこれに留まらなかった。1963年から進んでいた空軍の次期戦略輸送機開発競争である。アメリカは世界戦略の変更にともなって、世界の紛争発生地に 24 時間以内にアメリカ軍を展開するという目的のために戦略輸送機の開発を考えていた。この開発にはボーイング、ロッキード、ダグラスが開発研究契約を受け、ボーイングは大量の人員と膨大な経費を投じて提案書を提出した。ボーイングはそれまでB−52の開発生産の経験があったため有利と見られていた開発競争も、価格面で敗北。1965年9月にロッキード案(後のC−5Aギャラクシー)が採用されることになる。この敗北はボーイングにとって最大のショックであった。
ひとつの失注や開発失敗が世界トップ企業を窮地に追い込むばかりか、倒産さえ珍しくない。逆にヒット商品をつくりだし、大量受注するならば、それこそ巨万の利益をあげることができる。この博打的ともいえる浮き沈みの激しさこそが、この業界の宿命であって、日本などが容易に手を出せない理由でもある。しかし、ボーイングの場合、失注が結果としては、747を生む好運に恵まれる。
活路を見出す方法として次期戦略輸送機開発を行った膨大な資料と人員を有効利用して大型民間用機を実現することをボーイングは模索する。ただ、当時進められていた計画にSST=超音速旅客機があった。これは英仏共同開発のコンコルドに対抗してアメリカが本格的なSST開発に威信をかけて進めていたもの。当時、SSTが実用化すれば国際線の主力になるものと考えられていた。当然旅客の輸送はSSTに移るだろうが、運航費が高く、容積制限があるSSTは貨物輸送に適さないだろう。ならば別に大型輸送機が必要になるであろうと考え巨人機開発の理由付けにもなる。ボーイングは、ロッキードと並んで、SST開発計画のトップに立っていた。あわよくば将来機のSSTと大型貨物機の両方を手中に収めて民間航空輸送機の王座を占められそうだと目論み、巨人輸送機の開発をスタートさせた。だが、SSTのプロジェクトが、経済性、騒音等の問題から中止になり、膨大な開発費を注ぎこんでいたボーイングはまたしても大きな痛手を被むることになる。
この時期に、当時の世界のエアラインをリードする立場にあったパンアメリカン航空が1970年代の輸送機として空軍の戦略輸送機計画にあるような巨大な輸送機を必要とし各メーカーにプランを提示してきた。このパンナムの要求とボーイングの計画が一致してこの巨人輸送機の開発実用化が現実のものになる。1966年4月にパンナムは25機の大量発注を行い、これに続いて各エアラインも次々に発注の意志を示し、同年7月には正式生産決定されている。1号機のロールアウトは1968.9.30、初飛行は1969.2.9に行われた。747-200は、1970.10.11に初飛行している。1972年に入ると大口受注は殺到し、747は石油ショック後の航空機需要低迷の中でも、受注を伸ばした唯一の機種であった。
客室は幅5.92m、天井高さ2.5mで便所や調理室で5部屋に区切られる。2本の通路を備え座席の幅も在来機よりやや広い。娯楽設備にはステレオのオーディオ装置を各座席に装備。外が見られない乗客も多いためビデオや映画の映写装備も備えた。航法、自動操縦関係の中枢は慣性誘導航法装置。各動力システムは2重から4重に装備しシステムや機器不具合による就航率低下を防いでいる。1972年11月に短距離路線用のSR、1975年には胴体を短くした超長距離型747SPが生産された。1984年には2階客室を延長した747-300が生産に入り、1985年にはこのSUD胴体に2乗員操縦室を組み合わせ、翼幅を6フィート延長、ウイングレット装着、水平尾翼に燃料タンクを増設、エンジンをJT9DシリーズからPW4000シリーズに改めた747-400が発表された。
受注機数 1966年−2001年 累計1354機
スペック:747−400
■全幅65.10m■全長70.67m■全高19.30m■最大離陸重量362,900〜394,600kg■エンジンPW4000/CF6-80C2/RB211-524G、各27,000kgクラス×4機■燃料タンク容量198,390〜204,355g、同213,818g(尾翼タンク装備の場合)■最大巡航マッハ数M0.85■航続距離13,334km/3クラス最大ペイロード(39,460kg)■乗員2■乗客400〜450■初飛行1988.4.29
 747-400価格:1億6,500万ドル

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