日本航空機製造 YS-11

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凡例、形式と撮影場所を標記しています。


YS-11FC
宇都宮


YS-11FC
宇都宮


YS-11FC
宇都宮


YS-11T-A
宇都宮にて


YS-11T-A
宇都宮にて


YS-11T-A
宇都宮にて


YS-11A-200
羽田空港


羽田空港
ANA機体メンテナンスセンター


羽田空港
ANA機体メンテナンスセンター


YS-11FC
百里基地


YS-11P
百里基地にて


YS-11T-A
下総基地


YS-11T-A
下総基地


YS-11T-A
下総基地


YS-11T-A
下総基地

戦後初の国産輸送機
1945年の終戦から間もなく、連合国占領軍総司令部 (GHQ)は同年の11月18日に日本に対して民間機を含めた航空活動、生産、研究、実験など一切を禁止した。この制約が解かれる1956年までの間、GHQの許可が無ければ、模型飛行機すら飛ばす事は許されなかった。この空白の時代は日本の航空界に致命的なダメージを与えるに十分であった。
この規制が解かれた年。5月30日に日本は「中型輸送機の国産化計画構想」を発表した。1957年にYS−11の基本構想をするための(財)輸送機設計研究協会を設立した。戦前に軍用機を数々作り上げた技術者達が集められ、この飛行機の計画が練られた。この飛行機のYSとは、輸送機設計研究協会のイニシャルを取ったものである。
YS-11の誕生
1958年の実物大(90%スケール)公開以降、翌年の日本航空機製造株式会社(NAMC)設立。三菱重工、富士重工、新明和重工、日本飛行機、昭和飛行機、川崎重工の6社が協力し、国産の中型輸送機の本格的な開発がスタート。そして1962年に名古屋空港で初号機の初飛行を迎えるのである。それ以降、1974年までに182機を生産した。そしてYS-11以降の開発プロジェクトが決まらないまま、1982年9月に日本航空機製造は解散した。 360億円の累積赤字が後に残ったという。
YS-11という飛行機とは
戦後に開発された唯一の国産中型旅客機である。開発された昭和30年代、すでに日本の空を席巻していた外国機に負けない旅客機をという信念のもとに作られたものといえるだろう。1200m滑走路の空港に就航できる点は大きなメリットであり現在でも国内外合わせて80機程が現役で活躍している。初飛行からすでに38年以上経ち、過酷な運行をするローカル線でこれほど事故の発生率が低い中型機はほとんどない。YS−11は主構造部が頑丈な作りで、寿命の長い飛行機といえるだろう。
YS-11/YS-11A諸元
■全長:26.3m■全高:8.99m■主翼幅:32.0m■ホイールベース:9.515m■客室長さ:13.4m■キャビンシート:60席(最大)■最大離陸重量:23,500kt(YS-11Aは24,500kt)■最大運用速度(13,600ft以上):M=0.475■最大運用高度:20,000ft■エンジン:ロールスロイス ダートMK542-10 ターボプロップエンジン


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